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2024年6月13日(木)   川越・蔵の街 
 栃木、佐原の順に「蔵の街」を訪ねて来たが、何といって真打は小江戸と呼ばれる川越である。すでに、3回訪問しているので、今回で4回目となるが、蔵を中心に見物した。
 蔵造りの街並みをキャッチフレーズにして、長年にわたり努力を重ね、観光客を呼びこんできたのが川越である。まさに「蔵の街」の開拓者、先駆者といえる。しかし、現在の区画割りは江戸時代の町割りをそのまま残しているが、明治26年(1893)の大火により大半の建物は焼失しまい、現在我々が目にする蔵造りの街並みは明治時代に建築された店蔵群である。小江戸と称されるのは、江戸時代に川越城の城下町であったことと新河岸川を利用した舟運が盛んで商業を通じて江戸との行き来があったことに由来するわけであるが、蔵造りの街並みは現代人を江戸時代の風景にタイムスリップさせてくれる。
 確かに、壁も屋根瓦も黒色にくすんでいて重厚感のあり、現代の明るく、縦に林立するビル群が建ち並ぶ街並みとは時空を異にする景観といえる。蔵が20数棟建つ、この地域は重要伝統的建造物群保存地域に指定されおり、すべてが平入の形式で建てられ、観光客を目当てにする飲食、土産物等のお店となっている。蔵は物を収納する蔵ではなく、蔵の形をした商店舗であり、店蔵と呼ばれる形式のものである。多くの店蔵の2階には観音扉が設けられていて、これぞ蔵というイメージが伝わるが、防火を目的としたうだつをあげた蔵は見当たらない。
  
  

亀屋本店
 

代表的な蔵造りの街並み よく見ると 江戸時代の宿場で見られる通りに対して斜めにずらして建てられている

観光客を乗せて人力車が走る 

蔵店はガチャガチャの専門店?

  川越と言えば、時の鐘が思い出されるが、これも明治時代の大火後に建てられた櫓である。現在では大した高さとはいえない櫓であるが、周りに高層建物が全く建っていなかった江戸時代には、櫓の上からは東西南北を見渡し、ときを知らせる鐘の音を四方に響かせたことであろう。
 明治時代の大火でも被災を免れた、寛政4年(1792年)に建築された大沢家住宅は国の重要文化財に指定された川越最古の店蔵である。近江屋という屋号の呉服商を営んでいたという。
 栃木と佐原でも山車が繰り出して盛大に祭りが行われるが、川越も慶安元年(1648年)に、知恵伊豆と称された川越城主の松平信綱によって氷川神社の例大祭として祭りが始まり、時代の変遷を経て明治時代以降は山車中心の祭りになったという。栃木、佐原、川越とも秋に祭りが開催されるようであるので、機会があれば見物したいものである。

 時の鐘 

 大沢家住宅

 川越祭り会館

 川越祭り会館 展示されている山車


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